このブログを本格的に始めてから早いもので半年が過ぎた。そしてありがたいことに、過去30日間のデータを見ると、リピーター率が14.6%となっている(Google Analyticsという、アクセス解析ツールってのがあるんです)。内容としてはワールドトリガーや僕のヒーローアカデミアの感想について書いていることが多いので、おそらくこの2つの作品が好きな方が、複数回見に来てくれているのだと思う(本当にありがとう!)。

個人的には、ブログというものは書いている人の面影が見えないと面白くないと思っている。しかしながら、ワールドトリガーや僕のヒーローアカデミアの感想を書いているだけでは、僕がどういう人物なのかなかなか表現しづらいところがあるのも事実だ。

そこで、今回は僕の人格形成に大きな影響を与えた作品について触れながら、すこしばかり僕自身のことについて書いてみようと思う。早い話が自分語りになるが、読んでみて欲しい。



僕に多大な影響を与えた作品というのは、三浦綾子の「氷点」「続 氷点」である。
IMG_4745

「氷点」という作品はキリスト教の「原罪」がテーマ。原罪というのは、人が生まれながらに背負う罪のこと。これを読むと「お?なんかこの話ちょっと危ないんじゃない?やめとこっかな?」と思うかもしれない。けど安心してください。僕はキリスト教じゃないので、別に信仰がどうのこうの言うつもりはありません。ただ、テーマとして知っておかないと不便なので説明しておくというところです。

“人が生まれながらに背負う罪”ってのは(あえて言葉を崩して)簡単に言うと、「人類の始まりであるアダムとイブが、神様の言うことを破って禁断の木の実を食べちゃった!人類の始まりの人がそんなことしちゃったから、それ以降生まれてくる人たちはみんな罪深い人達なんだよ!」ということなのです。

「んな無茶な…」

なんて思いますが、まあ、解釈はいろいろあるので、気になる人はwikipediaでも見てみてください。


僕が氷点を初めて読んだのは確か中学1年か2年生の頃。それから、高校、大学と進学する度に読み返しています。

文体が古いので、ちょっと崩した言葉で序盤のあらすじを。



あらすじ始め〜〜〜〜〜〜〜

私は夏枝。夫は病院長である辻口啓造。夫には不満ないけど、私はまだまだ女。夫の経営する病院に務める村井靖夫は私に気があるみたい!ちょっといけない気もするけど、ドキドキするわね!夫の出張中に村井が訪ねてきたわ。家には私と村井二人っきり!じゃなかった。娘のルリ子ちゃんがいたわ。私は村井と過ごしたいばかりに、「遊んで」とせがむルリ子に外で遊んでくるよう言ってしまったの。それがいけなかったわ。ルリ子は誘拐されて殺されてしまった!!!なんてことなの!!!確かに村井に心が揺れたのは事実だけど、その報いとしては酷すぎるわ!シクシク(T_T)

私は辻口啓造。夏枝の奴が村井と密会している間に、娘のルリ子が殺されてしまった!夏枝まじ許すまじ!なんだって?ルリ子を殺した犯人の娘が、孤児院に預けられているだって?こうなったら、夏枝に犯人の娘を育てさせてやる!何も知らずに犯人の娘を育て、その事実を知った時どんな顔をするか。夏枝よ、これが私の復讐だ!

あらすじ終わり〜〜〜〜〜〜〜



ひどい話ですよね。妻の不貞がきっかけで娘が殺されてしまったばかりに、妻を憎むようになるのはわかる。だけどその復讐に、「娘を殺した犯人の子」を妻に育てさせるのはちょっと普通じゃない。



この物語で1番可哀想なのは、復讐のために引き取られた犯人の娘なんですけどねぇ。この子はまだ赤ちゃんのうちに辻口夫婦に引き取られ、陽子と名付けられます。そしてその名の通り、とても美しく、純粋で、明るく朗らかにすくすくと育ちます。

まだ自分がもらい子だという自覚のない陽子にとっては、啓造も夏枝も本当の親です。しかし、陽子が犯人の娘だと知っている啓造は、陽子に対して本当の娘のように接することが出来ません。ルリ子を殺した犯人の娘でありながら、とても素直な子に成長する陽子の姿に、啓造は苦しむことになります。単純に解釈すると「復讐しようとするものが、最もその復讐に苦しめられることになる」ということですね。

夏枝は陽子をとても可愛がります。しかし、遂に陽子が犯人の子であることを知ってしまうのです。「これが夫の復讐なら、泣いてたまるものか」と、夫の復讐に気づかないフリをして陽子を育てようと決心します。しかしその決心は、あくまで夏枝のプライドを保つためであり、(本来であればなんの罪もない)陽子のためではありませんでした。

陽子が犯人の子だと知って以来、夏枝は結局、陽子につらく当たるようになります。そして、陽子が中学校の卒業式で答辞を読むことになったとき、夏枝は、陽子が頑張って用意した答辞を、式当日に白紙にすり替えてしまうのです。しかし陽子は、即興で答辞を行います。

その答辞の中に、陽子の性格を良く表現している一節があります。


「泣かせようとする人の前で泣いては負けになります。その時にこそ、にっこり笑って行きていけるだけの元気を持ちたいと思います。」

陽子は、自分がもらい子である噂を聞いていましたが、夏枝の態度がきつくなり、答辞をすり替えられてしまったことから、確信に変わっていきます。しかし陽子は、自分にきつく当る夏枝に同情し、本当の母にも何か事情があったんだと考えるわけです。そして、


「私は石にかじりついても、ひねくれないわ。」
と決心するのです。




この物語を初めて読んだ時、自分と同じ年代である中学生の陽子の立派さにただただ感心しました。中学生当時の僕は、ただ単純に感心出来るだけ純粋でした。そして「私は石にかじりついても、もひねくれないわ。」という言葉がやけに印象に残ったのです。「俺もこれを信念としよう!!」と(当時の僕は)強く思いました。


しかし、陽子はとうとう、自分がルリ子を殺した犯人の娘であることを知ってしまいます。そしてその事実が、啓造と夏枝を苦しめていたことをしり、自殺を図るのです。

自殺の理由は陽子が残した遺書に記されています。遺書の内容はぜひ氷点を読んで欲しいのだが、自殺の理由は、

・法を犯すことはなかったが、自分の存在そのものが、啓造や夏枝を苦しめる罪であったこと
・自分の中に罪の意識を見出したこと。

の2点です。

こうやって簡単に要約するってのはつまらないことだな〜と感じます。これだけ読むと、いや、もしかしたら実際に読んでも「そんなことで死ぬの?」と思うかもしれませんが、少なくとも、陽子自身にとっては命を絶とうとするほど重大なことだったのです(2006年にスペシャルドラマ化されたときに陽子を演じた石原さとみさんは、陽子を理解するのはなかなか大変だったと語っていました。)


結果的に、陽子の自殺は未遂で終わります。命を取り留めた陽子の話は、「続 氷点」に続きます。今度のテーマは「ゆるし」です。自分の中に「罪」を見つけた陽子は、それをはっきりと許すと言ってくれる存在を求めるようになります。太陽の様な陽子の心にも、影があったんですね。


「ただひたすら、石にかじりついてもひねくれまい、母のような女になるまいと思って、生きてきた。が、それは常に、自分を母より正しいとすることであった。相手より自分が正しいとする時、果たして人間はあたたかな思いやりを持てるのだろうか。自分を正しいと思うことによって、いつしか人を見下げる冷たさが、心の中に育ってきたのではないか。」


これ、中学生の時はサラッと読み流していたかもしれない。今思うと、キツイ言葉だ。大人になってからというもの、日々の生活の中で「自分が正しい」と思い込み、自己防衛や正当化をしていないと心が壊れそうになってしまうことが多々あるからだ。「石にかじりついても、ひねくれまい」というのがいかに傲慢だったか、僕自身、身を持って感じている訳です。


その後、陽子は生みの母と再会することになる。陽子の本当の母は涙を浮かべながら許しを請うが、陽子は無言で立ち去ってしまう。

その時の心情を引用すると…
 
「・・・自分の心は冷えているのだろうか。自分はもっと暖かい人間のはずだった。もっと素直な人間のはずだった。その自分が、一言も発しなかったのだ。自分でも不可解な心情だった。

・・・「陽子さん、ゆるして・・・」その言葉に万感の思いがこめられていたはずである。しかし、陽子は、素気なくその場を立ち去ったのだ。それは、石を投げ打つよりも冷酷な仕打ちではなかったか。そのような非情さが、一瞬に生ずるわけはない。自分の心の底には、いつからかそれはひそんでいたのだ。」


まあ、なんというか、自分の中に冷たさを見つけてしまった時、ひどく落ち込みますよね。そして落ち込みたくないから、仕方がなかった、そうするしかなかった、と自己防衛するわけだけど。この自己防衛が大人になってからうまくなっちゃってイヤになっちゃうよって感じです。

この後陽子がどうなったかは、ぜひ小説でお楽しみください。


余談になるけど、最近いろいろとネットでも現実でも炎上することってあるでしょう?ある炎上事件に「罪のないものが石を投げなさいってキリストの言葉思い出すね」とコメントした人がいて、それに対して「罪がないことを証明するために石を投げる人が出てくるぞ」と返していた人がいたんです。これを見た時、結構ショックでした。


僕はクリスチャンじゃないけど、「罪のないものが〜」の考え方は結構合理的だと思っていただけに、そんな考え方する人もいるんだなーというショックですね。



というわけでまとまりが悪い気もするけど、僕が多大な影響を受けた「氷点」「続 氷点」という作品を紹介しながら、最後に余談という形式で「人を攻める前に自分を省みてみろよ。怒ってる自分の顔鏡で見たことあるか?ひどい顔してるぜ」と思いながら、なるべく攻撃的にならないよう生きてますよ。なれるものなら、陽子みたいになりたいと思って生きてきましたよ、ということを書いたつもりです。

「石にかじりついても、ひねくれまい」というのに挫折して、自分の中にある冷たさに気付いて落ち込み、それでもなんとか頑張っていきたいです、というのが根底にある生き方という感じですかね。

無理矢理まとめてみました。

たくさん書いちゃったな。

それでは。