ある日の飲み会で、ファイナルファンタジー(以下、FF)世代の何人かで昔話をしていた。「俺が好きなのは3だ」だとか、「なんだかんだ言って7でしょ」とか、「9好きな奴いないの?」とかいろいろいいつつ、懐かしい話で盛り上がったものだ。

その飲み会に同席していた女性が話に入ってきた。彼女はFF含め、あまりゲームをしない人だった。そんな彼女にFFとは何かを説明することになった。

僕「FFで1番のオススメは9です。9はなんといってもビビの存在がいい。もともとは戦争兵器として作られた人形だけど、自我を持ち、生きるとは一体何なのか悩むんです。一緒に行動する仲間もそれぞれに悩みを抱えているけど、9の物語の象徴はやっぱりビビで…うんぬんかんぬん…」



彼女「へー えっと… ツンツン頭の人が出てくるのは9?」

僕「いや、それ7!」

彼女「あ!さっき言ってた世界が崩壊してバラバラになった仲間集めるやつ!」

僕「それ6!6でしょ!」




なんていう具合に、わざとオタクっぽさをだし、わかりにくく教えながらそれも違うあれも違うなんてやり取りを楽しんでいたのです。

そんなやり取りも飽きてきた頃、話を終わらせる為にとにかく雑にFFの要点を教えました。

「FFってのは、とにかく世界を闇に包みたがったり無に返したがったりするボスを倒しに行くゲームだよ」と。


彼女は「なにそれウケる〜〜〜!」と言って笑ってくれ、話題も他に移すことができたのでいいシメだったと思う。


FFについて雑なまとめ方をしたけど、こんなまとめ方をしたのも、闇に包んだり(FF3のくらやみのくもとか)無に返したがったりする(エクスデスとか)ボス達になんとなく共感しなくもなかったからだと思う。

どうせ死ぬのになぜ生きるのか。どうせ無に還るのになぜ作るのか。これに近い感覚になることってありませんか?

やっても無駄、意味が無い、そうやって最初から諦めてしまうような感覚。流石にFFのラスボスみたいな破壊衝動はないけど、ああ、なんとなく分かるわーみたいな。




宇宙兄弟という漫画では、「伊東せりか(以下、せりか)」というキャラクターが出てきます。父の死因となった病気に効く薬を開発するため、無重力環境下での新薬開発実験が行える国際宇宙ステーション(以下、ISS)に搭乗したいと宇宙飛行士になるキャラクターです。

読んでない人にはネタバレになるけど、せりかのISS搭乗と、ロケット打ち上げ日程が決まったあと、せりかは母親からビデオレターを受け取ります。そこに映っていたのは、せりかが小学生の時に亡くなったお父さんの姿でした。

お父さんは死ぬ前に、娘のせりかにメッセージを残していたのです。




「もうすぐ宇宙へ行くんだろう?」「おめでとう。せりか」




これは、凄かった。感動してしまって、しばらく次のページをめくれなかった。

まだ小学生である娘の姿をみて、「この子はきっと夢を叶えるだろう」と確信し、宇宙へ行く直前の娘に向けてメッセージを残したわけです。娘の夢が叶うと確信した父と、実際に夢を叶えた娘。なんて素晴らしい話だろうと思いました。




なんでこんな関係のない話を一つの記事でまとめて書いてるんだろう。よくわかりません。よくわからないけど、何故か書きたくなったのです。


自分の頭のなかは矛盾だらけで、エクスデスの「世界を無に!」に共感しつつ、宇宙兄弟の夢を叶えた娘と、娘の夢が叶うことを確信した父の話に感動するわけです。


僕はポジティブ馬鹿が嫌いです。頑張れば夢は叶う!みたいなことを言われると「うっさい黙れ馬鹿」と思ってしまいます。その反面、そんなことやっても無駄だよ。やめちまえよみたいな事を言われると、「それでもやるんだよ。やりたいんだから」と妙にやる気になったりします。


さて、この話、一体何を書きたかったんでしょうか。自分でもよくわからなくなってしまった。

今なんとなく人生が停滞気味だけど、ネガティブ思考に救われたり、ポジティブ思考に救われたりしながら生きてきたわけで、そんなことを思い出したかったのかも知れないな。


とりとめのない文章もたまにはいいでしょう。

それでは。