当時の僕は冴えていたと思う。なんの情報も無く、パッケージを見ただけで面白そうだと確信し、ポケットモンスターの赤を買ったのだ。

ポケモン赤を買った日、小さい頃から僕の世話をしてくれていた近所のおばさんと久々に再会し、一緒に出かけていた。その再会の記念に何か買ってあげると言われ、おもちゃ屋で目にしたポケモン赤を迷わず選んだのだ。買ってもらってから札幌三越のレストラン街のどこかの店に入り、パッケージの裏面を食い入る様に眺めていたのを今でもはっきり覚えている。当時の僕は小学校3年生だった。

家に帰ると、初代の馬鹿でかい弁当箱みたいなゲームボーイにポケモン赤のカートリッジをセットし遊び始めた。最初に選んだポケモンはもちろんヒトカゲ。男なら迷わずヒトカゲを選ぶだろう。見た目がドラゴン的でなおかつ火属性だ。ジムリーダーのタケシ相手に苦戦するのもお約束だが、当時の僕はそれを苦労だと思わないほどポケモンにハマっていた。

出現するモンスターをボールでゲットし、育ててジムリーダーを倒し、バッジを手に入れる。その過程が少年心にロマンを感じさせた。ゴールデンブリッジでトレーナー5人抜きをしてもらえるのが「きんのたま」だ。小学生が喜ばないわけがない。きんのたまを売らずに取っておくのが僕のスタイルだった。

サファリパークではケンタロスを捕まえるために何時間も粘り、ポケモンボールが揺れる度にAボタンを押すだのずっと連打してるだの迷信めいた噂も飛び交い、それを信じてやっていたのだ。苦労の末捕まえたケンタロスに「じしん」と「じわれ」を覚えさせ、STVホールで行われたポケモンリーグの札幌地区大会に出場した僕は、初戦で「じしん」ではなく「じわれ」ばかりやって攻撃を外し、その隙にやられるという大失態を犯したのも懐かしい思い出だ。子供の頃からリスクテイクをする人間だった。

当時テレビ東京、北海道で言うところのテレビ北海道では夕方に64マリオスタジアムというのが放送されていて、ポケモンの対戦コーナーが僕を夢中にさせた。「いつかあの舞台に…!」なんて結構真剣に思っていたものだ(その夢は叶うことはなかった)。渡辺徹と加藤紀子が司会をしていたことを、コレを書きながら思い出した。

当時の小学生はどうやってミュウの作り方を知ったのだろうか。いつの間にか小学校中でそのバグ技が知れ渡り、僕もそれでミュウを作った。大技林で知ったのだろうか。

現在まで続くポケモン人気は、ポケモン赤・緑の成功がなければありえなかった。僕は金・銀までプレイし、その後のシリーズはあまり馴染みがないのだが、初代のポケモンをリアルタイムでプレイ出来たことを非常に嬉しく思っている。

2016年2月27日にNintendo 3DSのヴァーチャルコンソールで赤・緑・青・ピカチュウの4バージョンが配信されることがニュースになったが、初代をプレイしたことない人も、この機会にプレイしてみることをおすすめする。僕はスマブラをプレイ中(非常に大人げないが)、あまりのストレスに3DSを逆パカして壊してしまったので、ゲームボーイカラーでプレイすることにする。

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数年前にデータを一度消して、四天王を倒すまでやり直したデータが残っていた。

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初代幻のポケモンでいらっしゃるミュウさん